とくやま整骨院

2012年11月29日 木曜日

親父の手作り

感動のお話を教えて頂きました。


お時間のある時にどうぞ。

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小1の秋に母親が男作って家を出ていき、俺は親父の飯で育てられた。


当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、


また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって俺は飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、


ひどい時には焦げた卵焼きを親父に向けて投げつけたりなんてこともあった。


翌年、小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。


俺は嫌でたまらず、一口も食べずに友達にちょっとずつわけてもらったおかずと持っていったお菓子のみで腹を満たした。


弁当の中身は道に捨ててしまった。


家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、


親父は俺が全部食べたんだと思い涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、


「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」


と本当に嬉しそうな声と顔で言った。


俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。


でもその後の家庭訪問の時に、担任の先生が俺が遠足で弁当を捨てていたことを親父に言ったわけ。


親父は相当なショックを受けてて、でも先生が帰った後も俺に対して怒鳴ったりはせずにただ項垂れていた。


さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあってその夜、早々に布団にもぐりこんだ。


でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い親父のところに戻ろうとした。


流しのところの電気がついてたので皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、親父が読みすぎたせいかボロボロになった料理の本と遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。


で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことをしたんだってことを自覚した。


でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、謝ろうにもなかなか踏み出せない。


結局俺はまた布団に戻って、そんで心の中で親父に何回も謝りながら泣いた。


翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を親父はまたぐりぐりと撫でてくれて、俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。


親父は去年死んだ。


病院で息を引き取る間際、悲しいのと寂しいのとで頭が混乱しつつ涙と鼻水流しながら


「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」


とか何とか言った俺に対し、親父はもう声も出せない状態だったものの微かに笑いつつ頷いてくれた。


弁当のこととか色々、思い出すたび切なくて申し訳なくて泣きたくなる。

_______


感動するお話をありがとうございます。


自分のことばかりを考えている時は、見えないものです。


相手の立場や気持ちになろうとすればするほど、感謝が溢れてきますね♪



今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m

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2012年11月29日 木曜日

優しさ 思いやり



東京にいた今から16年程前の

12月も半ば過ぎた頃のことです。


私は体調を壊し、週二回、

中野坂上の病院に通院していました。


その日は今にも雪が降り出しそうな空で、とても寒い日でした。

昼近くになって、病院の診察を終え、

バス停からいつものようにバスに乗りました。


バスに座る席はなく、

私は前方の乗降口の反対側に立っていました。

車内は暖房が効いていて、外の寒さを忘れるほどの心地よさでした。



間もなくバスは東京医科大学前に着き、

そこでは多分、病院からの帰りでしょう、

どっと多くの人が乗り、

あっという間に満員になってしまいました。



立ち並ぶ人の熱気と暖房とで、

先ほどの心地よさは一度になくなってしまいました。



バスが静かに走り出した時、

後方から赤ちゃんの、

火のついたような泣き声が聞こえました。


私には見えませんでしたが、

ギュウギュウ詰めのバスと、

人の熱気と暖房とで、

小さな赤ちゃんにとっては苦しく、

泣く以外方法がなかったのだと思えました。



泣き叫ぶ赤ちゃんを乗せて、

バスは新宿に向かい走っていました。



バスが次のバス停に着いた時、

何人かが降り始めました。

最後の人が降りる時、後方から、

「待ってください。降ります。」

と、若い女の人の声が聞こえました。


その人は立っている人の間をかきわけるように前の方に進んできます。


その時、私は、

子供の泣き声がだんだん近づいて来ることで、

(泣いた赤ちゃんを抱いているお母さんだな)

と分かりました。


そのお母さんが、運転手さんの横まで行き、

お金を払おうと、

赤ちゃんを抱えながら、

バッグの中を探っている時でした。



運転手さんが、そのお母さんに話しかけていました。

「目的地はここですか?」

運転手さんが、そう聞いているのが聴こえました。



その女性は気の毒そうに小さな声で

「新宿駅まで行きたいのですが、

子供が泣くので、ここで降ります。」

と答えました。



すると、運転手さんは


「ここから新宿駅まで歩いてゆくのは大変です。

目的地まで乗って行って下さい。」

と、その女性に話しました。



そして、急にマイクのスイッチを入れたかと思うと、

乗客に向かって話し始めたのです。




「皆さん

この若いお母さんは新宿まで行くのですが、

赤ちゃんが泣いて皆さんにご迷惑がかかるので、

ここで降りると言っています。


子供は小さい時は、泣きます。

赤ちゃんは泣くのが仕事です。


どうぞ皆さん、少しの時間、

赤ちゃんとお母さんを一緒に乗せて行って下さい。」


私はどしていいか分からず、

多分皆もそうだったと思います。


ほんの数秒かが過ぎた時、

乗客の一人が拍手をしはじめました。


そして、次第に一人の拍手につられて、

バスの乗客全員が拍手を始めました。


その拍手が、運転手さんへの返事となったのです。


若いお母さんは、目に涙を浮かべながら、

何度も何度も頭を下げていました。



今でもこの光景を思い出しますと、

目頭が熱くなり、ジーンときます。

私のとても大切な、こころにしみる思い出です。


(『だんだん倶楽部』HP「バスト赤ちゃん」より)


以前は、人の多いところで、赤ちゃんが泣いていると、

少し耳障りに感じていました。


でも、娘をもってから、

この運転手さんの言っていること、

「泣くことが仕事」

この意味がすごくわかります。


僕が、このお母さんでも、

人の温かさに泣いていただろうな♪

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2012年11月28日 水曜日

大和魂


1890年(明治23年)9月16日、

トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、

帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きた。


この事故で、特使を含む518名は死亡したが、

死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、

一命を取り留めた。


この時村人たちは、台風により漁ができなく、

自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、

非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、

トルコ人に食べさせ介護したのだった。

また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。



この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられた。

その後、遭難者たちは明治天皇の命により

軍艦2隻でトルコに送り届けられた。


このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。



この話に同情した「山田寅次郎」なる人物が、

一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、

それを携えてトルコに渡った。



1892年4月4日、イスタンブールに上陸した山田は、

外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、

皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。


山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、

日本とトルコの友好親善に尽くした。


この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。



時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、

イラクのサダム・フセインが


「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」

ということを世界に向かって発信した。


イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、

どの飛行機も満席で乗ることができなかった。



世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、

日本政府はすばやい決定ができなかった。


空港にいた日本人は、パニックに陥った。



そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。



トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、

成田に向かって飛び立った。

タイムリミットの、1時間15分前であった。



なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、

日本政府もマスコミも知らなかった。



この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。



「エルトゥール号の事故に際して、

日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、

今もトルコの人たちは忘れていません。

私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。


トルコでは子どもたちでさえ、

エルトゥール号の事を知っています。

今の日本人が知らないだけです。

それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、

トルコ航空機が飛んだのです」


〜〜〜


僕は、はずかしながら、

エルトゥール号の生存者に対して行ったご先祖様の行いを知りませんでした。


日本人として、誇りを持てると同時に、

こうしてご先祖の日本人の方々行ってきた行いを、

知らなかったことを恥じました。


きっとたくさん、知らないことがあるんだと思います。


歴史を学ぶ欲にスイッチが入ります♪

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2012年11月20日 火曜日

幸福論

幸せになるには、感謝の気持ちが大切ですね!

3Dと言われる

でも...だって...どうせ...

不幸せな言葉は、人生を暗くします!

友達や、患者様、家族との会話の中で使うと、

周りがマイナス感情の流れになります!

使う言葉は、「ありがとう」

「感謝しています。」

幸せになる、言葉を使っていきます!

アルク近くの整骨院
とくやま整骨院でした。



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2012年11月14日 水曜日

一事が万事

大好きな言葉です!

わずか一つの物事から、
他のすべてのことを推しやる
ことができる!

一つの小さな事柄が

他のすべての場合に現れる!

今が大事!

患者さまの治療に

一事を大切にしています!
万事も常に尽くしています!

すべては患者さまの笑顔のために!


TOKUYAMA とくやま整骨院 徳山 徳山駅

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