とくやま整骨院

2012年11月28日 水曜日

大和魂


1890年(明治23年)9月16日、

トルコ皇帝ハミル2世が日本に派遣した特使一行を乗せたエルトゥール号が、

帰路、暴風雨に遭い、和歌山県串本町沖合で岩礁に衝突し遭難するという事故が起きた。


この事故で、特使を含む518名は死亡したが、

死を免れた69名は、地元民の手厚い救護により、

一命を取り留めた。


この時村人たちは、台風により漁ができなく、

自分たちの食べるものさえ無くなってしまうという状況にあったにもかかわらず、

非常時のために飼っていた、最後に残ったにわとりまでも、

トルコ人に食べさせ介護したのだった。

また、遭難者の遺体を引き上げ、丁重に葬った。



この話は、和歌山県知事から明治天皇に伝えられた。

その後、遭難者たちは明治天皇の命により

軍艦2隻でトルコに送り届けられた。


このことは、日本中に大きな衝撃を与えた。



この話に同情した「山田寅次郎」なる人物が、

一民間人として新聞社などの協力を得ながら全国を歩いて義捐金を集め、

それを携えてトルコに渡った。



1892年4月4日、イスタンブールに上陸した山田は、

外務大臣サイド・パシャに義捐金を手渡し、

皇帝アビドゥル・ハミト2世に拝謁した。


山田寅次郎はトルコ側の要請で、そのままトルコに留まり、日本語を教えるとともに、

日本とトルコの友好親善に尽くした。


この時の教え子の中に、後にトルコ共和国初代大統領となる、ケマル・パシャ(アタチュルク)がいた。



時代は下って、イラン・イラク戦争が始まった、1985年3月17日、

イラクのサダム・フセインが


「今から40時間後に、イラクの上空を飛ぶ飛行機を打ち落とす」

ということを世界に向かって発信した。


イランに住んでいた日本人は、慌ててテヘラン空港に向かったが、

どの飛行機も満席で乗ることができなかった。



世界各国は自国民の救出をするために救援機を出したが、

日本政府はすばやい決定ができなかった。


空港にいた日本人は、パニックに陥った。



そこに1機のトルコ航空の飛行機が到着した。



トルコ航空の飛行機は日本人216名全員を乗せて、

成田に向かって飛び立った。

タイムリミットの、1時間15分前であった。



なぜ、トルコ航空機が来てくれたのか、

日本政府もマスコミも知らなかった。



この時、元駐日トルコ大使のネジアティ・ウトカン氏は次のように語られた。



「エルトゥール号の事故に際して、

日本人がなしてくださった献身的な救助活動を、

今もトルコの人たちは忘れていません。

私も小学生の頃、歴史教科書で学びました。


トルコでは子どもたちでさえ、

エルトゥール号の事を知っています。

今の日本人が知らないだけです。

それで、テヘランで困っている日本人を助けようと、

トルコ航空機が飛んだのです」


〜〜〜


僕は、はずかしながら、

エルトゥール号の生存者に対して行ったご先祖様の行いを知りませんでした。


日本人として、誇りを持てると同時に、

こうしてご先祖の日本人の方々行ってきた行いを、

知らなかったことを恥じました。


きっとたくさん、知らないことがあるんだと思います。


歴史を学ぶ欲にスイッチが入ります♪



投稿者 笑顔道整骨院

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